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旅ずきんちゃん|日本橋の歴史を知る旅


溝端淳平君とまわる日本橋を知る旅。もちろん現在
上映中の「祈りの幕が下りる時」阿部寛主演「新参
者」シリーズの番宣でもある。

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日本橋はかつての五街道の起点。現在は7本の国道
の起点である。東京まで、何キロという時の東京の
中心である。

橋の真ん中にある麒麟の像は日本の道路の起点とし
て人々が飛び立っていくように願いを込めて作られ
た。

見ると車道にマンホールのようなプレートがある。
これが日本の道路の起点です。日本橋は江戸幕府の
始まりとともに徳川家康によって架けられた。

現在の石造りの橋は明治時代に架けられた20代目。
戦争時の焼夷弾の跡も残っている。橋のたもとに書
かれた日本橋の文字は徳川家最後の将軍、徳川慶喜
によって書かれた。

当時の東京市長が華やかな城下町の名残を残したい
と徳川慶喜に頼んだという。江戸時代、パリの人口
約50万人、ロンドンの人口約90万人の時、江戸の
人口約120万人。世界最大の都市だった。

その繁栄の理由が分かるのが、近くにある魚市場発
祥の地という石碑。今の築地のような場所であった。
大正12年、関東大震災がきっかけで魚市場は築地に
移ったのです。

次は日本橋のシンボル的存在、日本橋三越。江戸時
代は越後屋といった。創業者は三井高利、もともと
武士で祖先は越後守高次という。そこから店名を越
後屋呉服店とし、後に三井の三と越後屋の越をとり
三越となった。


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お子様ランチのモデルになった「お子様洋食」を出
したり、デパートにエスカレーターをはじめて導入
したりした。

これも有名な千疋屋総本店は、創業から184年、西
郷隆盛が好物のスイカを買いに来ていたことは良く
知られている。

次に人形町へ。人形町の名前の由来は人形瑠璃の芝
居小屋がたくさんあったことによる有数の歓楽街で
あった。

溝端淳平君が撮影でお世話になったおいしいお店を
紹介。人形焼の重盛栄信堂、和菓子の玉英堂(名物
とら焼き)、お煎餅の草加屋(ドラマの1話の舞台)、
双葉(甘酒)など。

吉野鮨本店では、昔は赤身だけでトロは猫またぎと
言われ、誰も食べなかったが、ある時マグロが不足
してしまいトロを江戸で初めて食べるようになった
と教わった。

当時は今の4、5倍の大きさで小腹がすいた時、つ
まんでいたらしい。今の方が美味しいのは当然の事
ですが、有難い事です。

日本橋がより魅力的に見え、江戸時代の繁栄に驚か
された旅でした。


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